店舗案内

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■ 住所
〒238-0034
神奈川県横須賀市金谷1-1-5

■ TEL/FAX
046-851-1880

■ 営業時間
10:00~19:00
※日曜・祝日は18:00まで。

■ 定休日
木曜日

■ 交通アクセス
京浜急行線 「汐入」駅 よりバス「衣笠駅」行き 「平作」下車1分
JR横須賀線「衣笠」駅よりバス「池上経由横須賀駅・汐入駅」行き 「平作」下車1分
のどかな金谷商店街の中央にございます。

■ 沿革

1953年頃

戦後の復興期、金谷商店街建設と共に先代により開業(店名、中村商会)。
まだ知名度の浅かった新興メーカーブリヂストン自転車を販売開始。

(先代は寺の次男。警察官や市役所等公務員の職に付いていたらしいが、一本気な性格ゆえ上司と喧嘩をし辞表を叩き付け長続きしなかったそうです。最近になって税理士資格の書類が出てきて税務署にいた事もわかりました。開業当時は電気や文房具も販売していてTVが入荷した時は店頭に人が溢れ、店前の道路を走る京急さんのボンネットバスが反対車線に迂回して走ったという伝説もあります。「三丁目の夕日」の映画を観ると先代を想い出すという方もいました。瞬間湯沸かし器の性格を含めてでしょうか?)

1955年

自動車(ダイハツ)、オートバイ(昌和)と事業を拡大。
(母親がお嫁に来た年です。母の兄が昭和天皇の弟である高松宮宣仁親王にお仕える仕事をしていたので皇室に関係のあるお嫁さんと言われたらしい?幼き日の私はそれが理解できず天皇陛下は遠い親戚だと本気で思っていました。)

昭和30年代
店の女将(母親)が肺結核、脳動脈瘤と2度の大病を患い長い間の入院生活。
店は従業員によって支えられていました。
自動車部の修理工場は番頭さん、店が先代(父親)が担当。
自動車部には市内の番長達(ツッパリのボス)が次々と就職し数年で卒業してゆきました。

番長グループとも普通に付き合える能力?はこの当時学びました。
昭和のバンカラ番長はガキ大将としての熱い心と優しさがありました。
この経験は80年代BMX少年をまとめる時に大いに役立ち?ました。

1956年

株式会社に法人化。

(株)横須賀昌和モータース(昌和製作所オートバイの横須賀地区代理店であった事が社名の由来です。)

1960年代

ブリヂストンサイクルが国内トップメーカーになり大ヒット商品を次から次へと出します。

1963年

当社自動車部移転。

1964年

ブリヂストンサイクルの観光客向けの貸し自転車事業の協力。
(2年ほど当店が担当していましたが京急線の三浦海岸駅開通と共に拠点移動)

1972年

世界的なバイコロジーブームで自転車が一部の人の乗り物から大衆車へ。

1978年

倉庫であったバックヤード部を店舗に店内改装。
(2代目である私がブリヂストンサイクルに就職。多くの経験をし、多くの事を学ばせて頂きました。感謝の日々でした)

1979年

アメリカ製20インチの極太タイヤBMX(バイシクルモトクロス)の取り扱い開始。
TSマーク(障害、賠償保険付き点検整備マーク)を発行できる自転車安全整備店の資格を取得。

(先代が病に倒れ2ヶ月間の入院。閉店の危機でした。私にとってブリヂストンに残るのか店を継ぐのか決断の時でした。そんな時、たまたま観た東芝日曜劇場「倅」(せがれ)渥美清さんが演ずる下町の小さな自転車屋のドラマに泣けて泣けて店を継ぐ事を決意。白いツナギを着た勝手気ままな寅さんとバカ息子のストーリーでした)

1980年

店に集まるワンパク自転車少年達とBMXチーム「横須賀フォックス」を結成。
アメリカで生まれたマウンテンバイクを真似て、BMX26クルーザーに変速機を付け販売開始。日本にマウンテンバイクが登場するのはその数年後。

1981年

平作、瘡守神社下に横須賀初のBMXコース「フォックス、フィールド」完成。
(6人用スタートゲートのコンパクトなコースでした。日本人で初めてアメリカのBMXレースに参戦し、BMX協会初代#1プレート保持者だったMさんによる設計でした。その後、彼は横須賀フォックスのコーチとなりトレーニング法の原型を作り、「弱小フォックス」を「全日本チャンピオンを生み出すチーム」へと成長させてゆくお手伝いをしてくださいます。キツネをイメージした黄色いチームジャージも彼のデザインです)

1982年

映画E、T公開、全国的にBMX大ブーム。
市内の映画館とコラボ。桑原BMXを映画館内で宣伝。
(その後、BMXアドベンチャー上映の時も映画館は違うがマングースBMXを提供展示。抽選にてプレゼント。)

1983年

横須賀ベース、ブルー・リッジの艦長さんから横須賀フォックスがハロウィンデーにプライーベート招待される。
大きなカボチャのオバケを頂き店頭展示。
(まだまだハロウィンがメジャーではない時代。近所の子供の中には怖がる子もいました。戦争体験者からは進駐軍の文化!)

その後も艦長さんから空母ミッドウエイ、バーベキュー、プールへと度々招かれる。
(この時の写真がその後の横須賀市長さんへの表敬訪問で「日米友好スポーツ」としての大きなアピールとなる。横須賀市が全国に先駆けてBMXに理解を示した伏線となる招待でもありました)

1985年

オートバイ部門縮小し自転車専門店化。
社名とは別に店名を「ヨコスカショーワ」。

BMX新聞「アクショb」編集アシスタント。
(創刊号は北海道白糠町で開催された第1回J・BMX・F全日本選手権特集でした。また、ジャーナリストであった編集長さんからは組織論を始めとする多くの人生哲学を学びました)

1986年

タウン誌「横須賀朝日(朝日アベニュー)」トップ面でマウンテンバイク特集。
(大人の遊びの提案、大楠山での撮影でした。その後も自転車ingというコーナーで10年以上に渡りコメント。編集長さん女性スタッフさんから取材、広告記事の基本を学びました。)

1987年

横須賀市制80周年記念パレードでBMXチーム「横須賀フォックス」出演。
ジャンプ等のパフォーマンスを披露。
(市長室への表敬訪問もこの頃でした)

当店ロゴ、マスコットのアクティブヨコスカショーワ!AYUマーク誕生。
(男の子なのか?女の子なのか?未だに決めていません)

クリスマスセール!で「打ち出の小槌」型の抽選機が登場。
(昭和の30年代、衣笠にあったスーパーチャンピオンの売り出しで使われていたものです)

一等、デイズニーランドパスポート券。今でも続く当店の伝統です。

(ちなみに私が結婚した年でもあります。家内は高校時代応援団後輩バトン部のキャプテン、藤沢市の公務員保母でした。気ままな独身時代を終え、1年後には子供も生まれ父親としての自覚も芽生え始めます。子育てで一番ヒントになったのは横須賀フォックスを始めとするBMXに関わるライダーの家族関係でした。良き手本となる客観冷静で大らかな親の姿勢、絶対真似をしてはならぬ親の自分本位な熱い教育論?論にもなっていませんでしたが・・・。色々と学ばせて頂きました)

1988年

アメリカカリフォルニア州ロングビーチで開催された自転車ショーやアーカーンソー州リトルロックで開催されたBMXレース等を視察。
(その後、91年まで4回渡米、アナハイムインターバイクショー、メーカー本社、自転車店を視察)
多くのメーカーと契約。マウンテンバイク、BMXアメリカンサイクルの黄金時代突入。

1989年

BMXチーム「横須賀フォックス」日本最大のチームに成長。
全国大会で毎年のように優勝者を出し大活躍。テレビ、新聞、雑誌等マスコミから取材を受ける。TVCM(ケロッグ、ブリヂストン)やファッションショーにも出演。

阿部倉横横道路脇にBMXコース「横須賀湯ノ沢BMXトラック」完成。
(オートバイチーム「トムソンガゼル」と共同使用していた地でした。その後、地区レース、チャンピオンシップレース等を開催)

1990年

マウンテンバイク大ブーム。
店内完成車と部品の過剰在庫。

(J、BMX、F全日本BMX連盟の理事会でBMXオリンピック競技へ向けての話し合いが始まったのもこの頃でした。連盟の理事となりBMX活動に熱が上がるのとは裏腹に店の経営はとても褒められたものではありませんでした。売上高はどんどん上昇するが在庫にやられ、資金繰り悪化という経営者にとって一度は経験するアリ地獄の日々でした。組合や同業者、また先代からの温かい「喝!」を多く頂戴しました。当店がコンパクト経営(そこいらの町の自転車屋)に徹するのはこの頃の反省です。)

1991年

第7回J・BMX・F全日本選手権大会、横須賀市平成町仮設コース(横須賀BMXシーサイドトラック)で開催。

主催、JBMXF全日本BMX連盟。後援、横須賀市、横須賀市教育委員会、横須賀商工会議所。

(当店が事務局でした。全てが手作りの大会で多くの経験をしました。
市役所(市民部青少年課を始めとする各部署)、商工会議所、消防署(救急車)、町内会(テント備品)、青年会議所JC、市内企業スポンサー、テレビ、新聞各社マスコミ、旅館組合(選手宿泊)、自転車組合、メーカー、選手の父兄家族・・・そしてコース作り(建設会社)。多くの人達の協力で開催できました。台湾選手も4人招き、開会式では市長さんや教育長さん、商工会議所副会頭さん、市議会議員さんのご挨拶もいただきました。本当にありがとうございました。)

TV番組「所さんのもしも突撃隊」に横須賀フォックス出演。女性スポーツチャレンジャーと横須賀湯ノ沢BMXトラックで撮影。

横須賀商工会議所主催による3ヶ月間に渡る経営塾(夜学)に参加。第1回卒業生。
バブル崩壊の予想とコンパクト経営の財務を含めた基本を学ぶ。

1992年

12月クリスマスセールにて月間販売台数100台達成。(町の自転車屋にとって夢の数字です)
バブル崩壊時代にもかかわらずこの数字を達成できた事、商工会議所の塾に感謝です。
(店頭展示台数を上回る月間100台は小規模店パパママストアーの限界です。バイトのお手伝いのおかげで達成できました)

第8回J・BMX・F全日本選手権(岡山)でトラックディレクター(審判長)。

1993年

「横須賀フォックス」のライダー2名がBMX世界選手権(オランダ)に日本代表として出場。
横須賀市よりスポーツ栄光賞を受賞。

1994年

平成町うみかぜ公園造成(BMX、マウンテンバイクコース)と共に「横須賀フォックス」ショップチームとしての役割を終え運営を市民に譲渡。

(BMX全日本選手権大会開催の横須賀市からのご褒美だと思っています。選手の為のコースではなく市民の遊びの為のコースである事。税金を使うという事はどういう事なのかもコース作りの中で学びました。)

店舗建て替えの為、池上にて仮店舗営業。

1995年

新店舗新装開店。リニューアルオープン。
店名「サイクルショップショーワ」に変更。

3月17日の開店日から31日までの半月で販売台数100台突破!(106台)1日22台も未だに破られない当店記録です。
道路100メートルに渡り花輪が飾られ商店街、取引先、同業者の人達にも感謝、感謝、感謝!

(創業者である先代が亡くなった年でもあります。新店舗を見届けた後の旅立ちでした。)

1998年

横須賀市優良商店受賞。

横浜ベイスターズ優勝セール開催。
(しかし、巨人軍を始めとする他球団ファンの逆鱗に触れ?売上高はさっぱり。以後、野球ネタのセールは自粛・・。)

1999年

3月、春の自転車セールにて3度目の夢の月間販売台数100台達成!地域振興券効果によるものでした。

(ただし、その前月の2月に月間最低台数18台を記録(1980年以降)。地域振興券発行前の買い控えによるものでした。この不名誉な記録は未だに破られず。)

2000年

自転車屋を舞台に放映されたTVドラマ「サマースノー」において撮影に使用されたGTの子供車やマウンテンバイク、BMX、数台が当店に秘密裏に入荷。
(撮影終了が早かった為、TV放映時にはすでに自転車が当店にありました。TVを観ながら店にある自転車が映ったと大はしゃぎ。)

2000年~

メーカーの廃業や倒産、身売りが続き90年代戦国時代のツケが我が業界を襲いました。

30メーカー程あった取引メーカーを整理。

スポーツ部門は世界のトップメーカーへと成長した質実剛健GIANTと世界のレースで活躍しブランドイメージ戦略に成功しているTREKの2社を柱に商品構成。

BMX部門も縮小。
(80年代に自転車の高校野球、ラグビー、ボーイスカウトを目指したBMXチーム「横須賀フォックス」と横乗り文化を目指す新しいBMXerとのギャップが原因でした。ショーワは規律正しい高校生歓迎!自由を語る茶髪の高校生出入り禁止と言われていた時代です。)

2001年

「カラフルシンプル21世紀!」をキャッチフレーズに高校通学車をさらに拡販。
通学快特自転車、通学特急自転車、近距離、長距離、坂道コースに適した高校通学自転車の提案。
人気色ランキングの発表。

(クラブ活動、高校生活をエンジョイする多くの高校生、学校の先生方のお客様に恵まれました。それが子育て中の親として多くのヒントを頂きました。受検シーズンになると「がんばれ受験生!」のプライスカードをつけるショーワの伝統はこの頃から始まりました。)

2003年

地域密着店としての姿勢をより明確化。
「自転車生活10%」のすすめを提案。脱マニアショップ!

(自転車にかける時間やお金は「生活の10%くらいがちょうど良いですよ」という意味ですが、もうひとつ意味があります。販売シェア10%です。経費と売上のバランスを考えた時のちょうど良い仕事量がこの数字である事に気がつきました。マニアを増やし「一番店戦略!シェアアップ!」の声が業界で高まっていた時代へのアンチテーゼでもありました。私自身、子育て真っ只中で子供に「自転車屋に生まれたからお金がなくて大学に行けなかった」と言わせたくないと必死でした。教育費がこんなに掛かるのか?とくじけそうにもなりましたが・・・・。趣味を含め自分にお金を使う事は夫婦共に無くなりました。)

2005年

先代女将生涯を終える。
(片足を引きずって歩く障害者でありました。町の多くの人に助けて頂き感謝です。又、母は元気な頃から自転車に乗れませんでした。乗れないのに自転車を売っていました。ちなみに家内は一輪車に乗れません。でも乗れる私より教え方がうまい不思議???母への介護は嫁でありながらまるで自分の母親を看るように献身的でした。私が家内に頭が上がらない最大の理由です)

2006年

電動アシスト自転車の販売台数が急上昇。
マウンテンバイク、シティサイクル、子ども車に続く当店の主力商品に。

2007年

「スポーツBAA PLUS」認定店に合格。横須賀初、第一期生。

自転車協会の賛助会員店に。

(自転車協会で二日間の缶詰授業、そして試験。久しぶりに学生時代に戻ったような緊張でした。試験に落ちると言う事は自転車店にとって最悪のレッテルですから・・・認定店は毎年、自転車協会で授業を受けます)

2008年

ホームページ開設。
戦後3度目のサイクルブームの流れに乗ってスポーツサイクル販売台数増。

カーボンロードやクロスバイクの販売台数が上昇!リーマンショック効果と業界内では言う。(経費の掛かる車やオートバイを手放して健康を意識)

GIANT プレミアムディラー(GPD)契約。
(想い帰せば当店とGIANTの付き合いは一人の営業マンからでした。アメ車(アメリカンブランド)全盛の80年代後期、けんもほろろに突き放す当店に足繁く通い続けてくださいました。企業を成長させるのは社員一人一人の誠実さだという事を思い知らされました。世界最大の工場、最高の技術力。自転車業界人でGIANTを軽視侮辱するものは誰もいなくなりました。自転車業界アジアの時代!実感です。)

2009年

3,4月の春の自転車セールでブリヂストンアルベルト県内販売台数1位を記録。
(その後3年ほどアルベルト人気は続くが価格が急上昇した事で当店スターアイテムの座を降りる)

業界誌サイクルプレスから安全整備店TSマーク(障害、賠償保険付き安全点検マーク)の取材を受ける。
(県内でこの制度を活用している店が少なく、制度化30年に渡り安全点検を続けている当店に白羽の矢が立ちました。その後テレビ等でTSマークが認知されて行き、同業者も積極的に活用し始めました)

2010年

ホームページをリニューアル。

HP制作会社交代。
(新しいパートナーは日本を代表する広告会社出身の慶応ボーイ。当店の方針をしっかりと受け止め、若いセンスを持って編集する情熱家。彼のお勧めでブログとか言うものを始める・・・・が写真がラーメン屋の頑固親父のようで恥ずかしい。何度も「顔は載せるな!」といい続けているが、彼のお気に入りの作品?らしく変えてもらえない。タイトルの「至誠一貫」は高校入学時、担任だった書道の先生が黒板いっぱいに書いてくださった四文字熟語。以来、座右の銘となる。先生は生涯の恩師となり私のお手本でもある)

2011年

自転車業界震災需要!

3月の「春の自転車セール」(新入学おめでとうの表示等に問題があるという理由で配布予定チラシ1万枚を破棄、華やかなセール店頭飾りも中止!店内電灯を消した中での営業)において4度目の月間100台(101台)達成!2度目の1日20台達成。・・・・が心、全く躍らず。

メーカー、組合と協力し東北へ義援金活動。

神奈川テレビ「ありがとッ」出演。自転車協会スポーツBAA&サイクリングを店内と阿部倉町で撮影。

当店においてTREK黄金時代、圧倒1位。

2012年

GIANTクロスバイク、ロードバイク、販売台数ジワジワと順調な伸び。

店の女将である家内が店の前の横断歩道で交通事故。
(町の商店「繁盛店に女将あり」と言われる理由がわかりました。バイト君のお手伝いや多くの人に助けて頂きました。人の温かさを改めて知った年でもありました)

2013年

三浦半島「自転車半島宣言」
横須賀市観光課より自転車組合に協力依頼。

GIANTが当店スポーツ車部門販売台数第1位!新王者。

2014年

ホームページをスマートフォン向けにリニューアル。

スポーツ自転車の安全基準、スポーツBAA新制度化。
横須賀初の認定店として当店で販売する全スポーツ車に「スポーツBAA PLUSマーク」の貼附資格を得る。

2015年

自転車競技大会「メリダ・ミヤタカップ2015」が横須賀市内で開催。

メリダのグローバルディラーとして正規契約。
(神奈川県内ではメリダの実績が確実に伸びています。自転車半島宣言をした横須賀市とのパイプもしっかりと持ち、今後の成長が期待されます。)

2016年

三浦半島スタンプラリー、ソレイユの丘での貸し自転車等、メリダの活動に協力。

7月、当店の圧倒与党となったGIANT本社に招待され密談。
世界制覇した絶対王者の商品開発力、工業型メーカーとしてのリーダーシップ、社員のモチベーション(特に女子社員)に心が震えました。
自転車業界がシマノ、ジャイアント、メリダとアジアの時代になった事をさらに痛感。

自転車協会SBAAロードバイクのメンテナンス動画を当店で撮影

2017年

4月16,23日TBSラジオ「ミラクル・サイクル・ライフ」にゲスト出演。
(アリtoキリギリスの石井さん。TVプロデューサーツーキニストの疋田さんと赤坂スタジオでサイクリングトーク)

■ ごあいさつ

この度は、当店サイクルショップショーワのホームページへお越しいただきまして誠にありがとうございます。
1950年代よりこの横須賀の地で自転車屋を営業させて頂いております。
これまで数々の自転車を販売、修理、メンテナンスしてまいりました。

数々の自転車を扱ってきて思った感想は、
「地形と用途にあった自転車に乗っていれば未然に防げる事故がたくさんある」
という事です。

横須賀は坂が多く、細い道が多い場所です。
だからこそ、直線スピードよりも曲がりやすさや止まりやすさに応じた調整や自転車選びが必要です。

また最近修理に寄せられる自転車を見ていると、お客様のもとに届いた時点で製造ミスが見られる自転車も少数ですが、事実存在しています。

当店では、そういった危険やミスマッチを防ぐために、実績・信頼のあるメーカー品のみを扱っています。
また、ご購入頂いた際に乗り手の方に合わせ微調整をします。
これだけで安全性は高まります。

きっと、あなたに合った素敵な自転車が見つかります。
あなたの生活がより豊かなものになりますように願っています。